2008年07月28日
戦国時代検定 5
まあ、なんと言うか、歴史ランダムとでも思っていただければ・・・・。
1 (四択)
次の武将のうち、関ヶ原の戦いで西軍から東軍へ寝返ったのは?
1 小早川秀秋
2 上杉景勝
3 長宗我部盛親
4 島津義弘
⇒1 (小早川秀秋)
2 (タイピング)
織田信長が浅井長政の裏切りにあい、命からがら逃げのびた戦いは 「〇〇〇の退き口」?
〇の漢字をひらがなで答えなさい。
⇒かねがさき[金ヶ崎の退き口]
3 (ビジュアル・亜キューブ)
「真田十勇士」 の一人です。
※ じ ぱ ね ほか 球体 六文字
⇒ねづじんぱち [根津甚八]
4 (並べ替え)
講談などで有名な秋宅庵之介、山中鹿之介ら十人の精鋭たちを何と称する?
⇒尼子十勇士
5 (スロット)
1587年に豊臣秀吉が京都で開催した、約1000人を集めた盛大な茶会は 「〇〇大茶会」?
※漢字2文字
⇒北野(大茶会)
6 (タイピング)
戦国大名が、支配地域のために定めた法律を総称して 「〇〇法」 という?
〇の漢字をひらがなで答えなさい。
⇒ぶんこく[分国法]
↓解説↓
1 (四択)
次の武将のうち、関ヶ原の戦いで西軍から東軍へ寝返ったのは?
1 小早川秀秋
2 上杉景勝
3 長宗我部盛親
4 島津義弘
⇒1 (小早川秀秋)
2 (タイピング)
織田信長が浅井長政の裏切りにあい、命からがら逃げのびた戦いは 「〇〇〇の退き口」?
〇の漢字をひらがなで答えなさい。
⇒かねがさき[金ヶ崎の退き口]
3 (ビジュアル・亜キューブ)
「真田十勇士」 の一人です。
※ じ ぱ ね ほか 球体 六文字
⇒ねづじんぱち [根津甚八]
4 (並べ替え)
講談などで有名な秋宅庵之介、山中鹿之介ら十人の精鋭たちを何と称する?
尼 士 十 勇 子
⇒尼子十勇士
5 (スロット)
1587年に豊臣秀吉が京都で開催した、約1000人を集めた盛大な茶会は 「〇〇大茶会」?
※漢字2文字
⇒北野(大茶会)
6 (タイピング)
戦国大名が、支配地域のために定めた法律を総称して 「〇〇法」 という?
〇の漢字をひらがなで答えなさい。
⇒ぶんこく[分国法]
↓解説↓
1
小早川秀秋 (ウィキペディア)
内応を約していたにも関わらず、なかなか動かない小早川秀秋の軍に向けて、徳川家康が威嚇射撃を命じたというエピソードはかすかに頭にはありましたが。
21歳という若さで亡くなったとのこと。
2 (タイピング)
金ヶ崎の退き口(かねがさきののきぐち) (日本史用語の基礎知識)
金ヶ崎とは、現在の福井県敦賀。
「戦国史上でも有名な撤退戦のひとつ」byウィキペディア
この際、殿(しんがり)軍を木下秀吉の部隊が務め、これにより秀吉は有力者へ。
この後、『姉川の戦い』とつながっていく。
3 (ビジュアル・亜キューブ)
根津甚八 ねづじんぱち (ウィキペディア)
ということで、俳優の根津甚八の芸名は、この真田十勇士の根津甚八からなのです。知らなかったのです。
ちなみに真田十勇士とは、「真田幸村に仕えたとされる10人の勇士」のことで、基本的には、架空・伝承上の存在である模様。
↓真田十勇士↓
根津甚八
猿飛佐助(さるとびさすけ)
霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)
三好清海入道(みよしせいかいにゅうどう)=三好政康 ※三好三人衆のひとり
三好伊三入道(みよしいさにゅうどう)=三好政勝
穴山小介(あなやまこすけ)
由利鎌之助(ゆりかまのすけ)
筧十蔵(かけ じゅうぞう)
海野六郎(うんのろくろう) ※読み注意
望月六郎(もちづきろくろう)
4 (並べ替え)
尼子十勇士(あまごじゅうゆうし) (ウィキペディア)
山陰地方で活動し、滅亡した尼子氏の「家臣のうち尼子勝久を擁立し再興につとめたとされる、10人の優れた武士を列記したもの」たちのことを尼子十勇士と呼ぶ模様。
初耳。
5 (スロット)
北野大茶会 (茶の湯)
「洛中をはじめ畿内一円に高札を立てて参加者を募っ」て開催された茶会である模様。
「茶の湯という新しい文化を「天下人の芸道」として世に知らしめた」イベントであったとありました。
6 (タイピング)
分国法(ぶんこくほう) (歴史データ館)
例としては、
駿河 今川氏の 今川仮名目録
甲斐 武田氏の 甲州法度
など
熊本に関連させると
人吉の相良氏の 相良氏法度
などがある模様。
小早川秀秋 (ウィキペディア)
内応を約していたにも関わらず、なかなか動かない小早川秀秋の軍に向けて、徳川家康が威嚇射撃を命じたというエピソードはかすかに頭にはありましたが。
21歳という若さで亡くなったとのこと。
2 (タイピング)
金ヶ崎の退き口(かねがさきののきぐち) (日本史用語の基礎知識)
金ヶ崎とは、現在の福井県敦賀。
「戦国史上でも有名な撤退戦のひとつ」byウィキペディア
この際、殿(しんがり)軍を木下秀吉の部隊が務め、これにより秀吉は有力者へ。
この後、『姉川の戦い』とつながっていく。
3 (ビジュアル・亜キューブ)
根津甚八 ねづじんぱち (ウィキペディア)
ということで、俳優の根津甚八の芸名は、この真田十勇士の根津甚八からなのです。知らなかったのです。
ちなみに真田十勇士とは、「真田幸村に仕えたとされる10人の勇士」のことで、基本的には、架空・伝承上の存在である模様。
↓真田十勇士↓
根津甚八
猿飛佐助(さるとびさすけ)
霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)
三好清海入道(みよしせいかいにゅうどう)=三好政康 ※三好三人衆のひとり
三好伊三入道(みよしいさにゅうどう)=三好政勝
穴山小介(あなやまこすけ)
由利鎌之助(ゆりかまのすけ)
筧十蔵(かけ じゅうぞう)
海野六郎(うんのろくろう) ※読み注意
望月六郎(もちづきろくろう)
4 (並べ替え)
尼子十勇士(あまごじゅうゆうし) (ウィキペディア)
山陰地方で活動し、滅亡した尼子氏の「家臣のうち尼子勝久を擁立し再興につとめたとされる、10人の優れた武士を列記したもの」たちのことを尼子十勇士と呼ぶ模様。
初耳。
5 (スロット)
北野大茶会 (茶の湯)
「洛中をはじめ畿内一円に高札を立てて参加者を募っ」て開催された茶会である模様。
「茶の湯という新しい文化を「天下人の芸道」として世に知らしめた」イベントであったとありました。
6 (タイピング)
分国法(ぶんこくほう) (歴史データ館)
例としては、
駿河 今川氏の 今川仮名目録
甲斐 武田氏の 甲州法度
など
熊本に関連させると
人吉の相良氏の 相良氏法度
などがある模様。
Posted by 七匹かえる at 21:21│Comments(0)
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