2008年07月08日
戦国時代検定 3
えー、いまさらー。て感じですが、もう開き直ります。
タイムラグは仕方ないのです。
1 (ビジュアル)
上杉家の家老として活躍した戦国武将です。
※ひらがな
⇒なおえかねつぐ
2 (順番当て)
次の文字列を順に選んで戦国武将・豊臣秀吉の法名にしなさい。
A 松院殿
B 龍大居士
C 国泰祐
D 霊山俊
⇒C→A→D→B (国泰祐松院殿霊山俊龍大居士)
3 (一問多答)
次のうち、豊臣秀吉が建てた 「聚楽第」 の遺構とされるものを全て選びなさい。
1 南禅寺三門
2 清水寺本堂
3 大徳寺唐門
4 西本願寺飛雲閣
⇒3 4
4 (線結び)
次の戦国時代に栄えた剣の流派とその開祖の正しい組み合わせを選びなさい。
A 馬庭念流 1 奥山公重
B 天流 2 斎藤勝秀
C 神影流 3 樋口定次
⇒Aと3 Bと2 Cと1
5 (連想)
豊臣秀吉の五奉行
軍師に島左近を迎える
近江佐和山城主
関ヶ原の戦いの後に斬首
A 石田三成
B 長束正家
C 増田長盛
D 前田玄以
⇒A (石田三成)
6 (四択)
1582年に派遣された天正遣欧少年使節で、豊後の戦国大名・大友宗麟の名代を務めたのは?
1 中浦ジュリアン
2 原マルティノ
3 伊東マンショ
4 千々石ミゲル
⇒3 (伊東マンショ)
↓その他付随する情報↓
タイムラグは仕方ないのです。
1 (ビジュアル)
上杉家の家老として活躍した戦国武将です。
直江兼続
※ひらがな
⇒なおえかねつぐ
2 (順番当て)
次の文字列を順に選んで戦国武将・豊臣秀吉の法名にしなさい。
A 松院殿
B 龍大居士
C 国泰祐
D 霊山俊
⇒C→A→D→B (国泰祐松院殿霊山俊龍大居士)
3 (一問多答)
次のうち、豊臣秀吉が建てた 「聚楽第」 の遺構とされるものを全て選びなさい。
1 南禅寺三門
2 清水寺本堂
3 大徳寺唐門
4 西本願寺飛雲閣
⇒3 4
4 (線結び)
次の戦国時代に栄えた剣の流派とその開祖の正しい組み合わせを選びなさい。
A 馬庭念流 1 奥山公重
B 天流 2 斎藤勝秀
C 神影流 3 樋口定次
⇒Aと3 Bと2 Cと1
5 (連想)
豊臣秀吉の五奉行
軍師に島左近を迎える
近江佐和山城主
関ヶ原の戦いの後に斬首
A 石田三成
B 長束正家
C 増田長盛
D 前田玄以
⇒A (石田三成)
6 (四択)
1582年に派遣された天正遣欧少年使節で、豊後の戦国大名・大友宗麟の名代を務めたのは?
1 中浦ジュリアン
2 原マルティノ
3 伊東マンショ
4 千々石ミゲル
⇒3 (伊東マンショ)
↓その他付随する情報↓
1 (ビジュアル)
直江兼続 = なおえかねつぐ (ウィキペディア)
なんか、『「愛」という字を前立にあしらった兜をかぶっていた』そうです。※画像もあり→ウィキペディア
このネタ(?)はトリビアの泉でも取り上げられたようですね。
2 (順番当て)
国泰祐松院殿霊山俊龍大居士 (ウィキペディア 豊臣秀吉)
いやいやとりあえず最後のキーワードはわかります。
あとは最初に「国泰」という語が来ると。
全てを言えるようになるのは、ちょっと無理ですな。読み方がわかりませんし(苦笑)。
3 (一問多答)
聚楽第の遺構とされるものは全て、その可能性が高い、といったレベルのものみたいです。
大徳寺唐門 (京都探検隊)
「2000年から始まった400年ぶりの解体修理の際、”聚楽第遺構”と書かれた木札が発見され、その信憑性は高まった。」とのこと。
西本願寺飛雲閣 (国宝の建造物)
そのほかにも聚楽第の遺構とされるものには、
妙覚寺の大門
妙心寺播桃院玄関
などがある模様。
ちなみに
南禅寺三門は「藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るため寄進したもの」
で、
清水寺本堂は「徳川家光の寄進により寛永10年(1633年)に再建されたもの」だそうです。
4 (線結び)
▼真庭念流(まにわねんりゅう) > 樋口定次(ひぐちさだつぐ)
樋口定次は上州(現在の群馬)出身の人物です。
真庭念流は、「相手を倒す事よりも自分を守る事に重点を置いた守り主体の流派」であるそうで、当時から廃れずに現在まで続いているのだそうです。
▼天流 > 斎藤勝秀 (維新の嵐)
リンクは、「維新の嵐」というTRPGのサイトですが、おそらく情報に間違いはなかろうということで。※参考その2→兵法三大源流 「神道流」 (ウィキペディア)
どうやら塚原卜伝からの流れを組む流派である模様。
▼神影流 > 奥山公重(おくやまきみしげ)
・・・まぁ、消去法です。うまい具合にいいサイトを探せませんでした。
強いて言えば、奥山公重は間違いなく戦国時代の剣豪の一人である。ということくらいでしょうか。※リンク=戦国時代を生きた男たち
5 (連想)
石田三成 (ウィキペディア)
この問題は、同じ 石田三成 が答である連想クイズ(戦国時代検定6問目)のヒントがちがうパターンです。
前回のやつとを合わせてまとめると、
▼石田三成▼
豊臣秀吉の五奉行
近江の佐和山城主
軍師が島左近
家紋は 「大一大万大吉」
関ヶ原の戦いでは西軍の中心
関ヶ原の戦いの後に斬首
となります。
6 (四択)
伊東マンショ (ウィキペディア)
なんかよくわかんないのですが、豊後出身で、ヨーロッパに行ったあと、司祭になるべく、天草のコレジオなどで勉学に励んで、その後、小倉や長崎などを追われながら移動し、1608年に司祭になったとのこと。
直江兼続 = なおえかねつぐ (ウィキペディア)
なんか、『「愛」という字を前立にあしらった兜をかぶっていた』そうです。※画像もあり→ウィキペディア
このネタ(?)はトリビアの泉でも取り上げられたようですね。
2 (順番当て)
国泰祐松院殿霊山俊龍大居士 (ウィキペディア 豊臣秀吉)
いやいやとりあえず最後のキーワードはわかります。
あとは最初に「国泰」という語が来ると。
全てを言えるようになるのは、ちょっと無理ですな。読み方がわかりませんし(苦笑)。
3 (一問多答)
聚楽第の遺構とされるものは全て、その可能性が高い、といったレベルのものみたいです。
大徳寺唐門 (京都探検隊)
「2000年から始まった400年ぶりの解体修理の際、”聚楽第遺構”と書かれた木札が発見され、その信憑性は高まった。」とのこと。
西本願寺飛雲閣 (国宝の建造物)
そのほかにも聚楽第の遺構とされるものには、
妙覚寺の大門
妙心寺播桃院玄関
などがある模様。
ちなみに
南禅寺三門は「藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るため寄進したもの」
で、
清水寺本堂は「徳川家光の寄進により寛永10年(1633年)に再建されたもの」だそうです。
4 (線結び)
▼真庭念流(まにわねんりゅう) > 樋口定次(ひぐちさだつぐ)
樋口定次は上州(現在の群馬)出身の人物です。
真庭念流は、「相手を倒す事よりも自分を守る事に重点を置いた守り主体の流派」であるそうで、当時から廃れずに現在まで続いているのだそうです。
▼天流 > 斎藤勝秀 (維新の嵐)
リンクは、「維新の嵐」というTRPGのサイトですが、おそらく情報に間違いはなかろうということで。※参考その2→兵法三大源流 「神道流」 (ウィキペディア)
どうやら塚原卜伝からの流れを組む流派である模様。
▼神影流 > 奥山公重(おくやまきみしげ)
・・・まぁ、消去法です。うまい具合にいいサイトを探せませんでした。
強いて言えば、奥山公重は間違いなく戦国時代の剣豪の一人である。ということくらいでしょうか。※リンク=戦国時代を生きた男たち
5 (連想)
石田三成 (ウィキペディア)
この問題は、同じ 石田三成 が答である連想クイズ(戦国時代検定6問目)のヒントがちがうパターンです。
前回のやつとを合わせてまとめると、
▼石田三成▼
豊臣秀吉の五奉行
近江の佐和山城主
軍師が島左近
家紋は 「大一大万大吉」
関ヶ原の戦いでは西軍の中心
関ヶ原の戦いの後に斬首
となります。
6 (四択)
伊東マンショ (ウィキペディア)
なんかよくわかんないのですが、豊後出身で、ヨーロッパに行ったあと、司祭になるべく、天草のコレジオなどで勉学に励んで、その後、小倉や長崎などを追われながら移動し、1608年に司祭になったとのこと。
Posted by 七匹かえる at 20:01│Comments(0)
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